ライフストーリー

変化と気づき~私のレッスンスタイル~

私は、楽器が吹けなくなったのをきっかけに目黒にスタジオがあるbodychanceというアレクサンダーテクニークを学べる学校に通うようになりました。

理由は、満足する演奏が出来なかったから。

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学生時代から在京のオーケストラにエキストラで客演し学校に通えないくらい忙しくしたり、海外公演に行ったりして、私はこのまま研鑽を積んでプロのオーケストラに入団するんだと疑わずに過ごしていた頃、ある国際コンクールにエントリーしドイツに行きました。
留学もしてみたいし、審査員にレッスンして貰えたらいいな、何かきっかけになればいいなと思って臨みました。

そこで怖い思いをしました。
一人で留学は無理だ、と思った矢先、日本でも怖い目に合いました。
一人暮らしは無理だ、もう実家に帰るしかないかもしれない、とホルンの道を諦めようとした時に
タイミング良く結婚。少し前に楽器も変えました。

すると途端に吹く仕事が無くなり、教える事ばかりに。
「結婚したなら早く子供を作ってね」「楽器、変えちゃったんだ~」と言われ、誰からも演奏の声がかからなくなりました。

教えることは好きだけど、私はプロのオーケストラで演奏がしたいのだ、人を教えている暇なんてないのに私は何をやっているんだろう。
吹く時間がほしいと思うのと裏腹にどんどん教える仕事が増えていきました。
来た仕事はこなすのが当たり前の業界。
断ることも出来ず、引き受ければどんどん教える機会が増えていく、という日々が続きました。

夫はオーケストラ奏者で私よりも顔が広ため、「大野の彼女」とか「大野の奥さん」と呼ばれ、名前で呼ばれない事も嫌でした。
私って一体何なんだろう、と良くわからなくなり、
吹く仕事に行っても「奥さん」でいないといけないような気分でいました。

ホルンを吹くにあたって技術的に出来ないことが増えていき、毎日泣きながら音だしをしていました。
そんな中で、不調でできないんじゃない、以前から出来ていなかったのだと自覚をし、今まで上手く誤魔化していたことにも気がつき、自分と向き合う覚悟がないまま何かのせいや誰かのせいにして過ごしていました。

こうして5年ほどたったある日、身体を固く締め付けないと音が出ないまでになっていることに気がつきました。「潰れる」とはこういうことかと頭をよぎりました。

この時、私にとってとても大事な本番を控えていました。
古楽器の祭典でオーケストラで1番ホルンを担当することが決まっていて、プログラムもスタミナが大変重要な曲目でした。
指揮者も外国人。その道の達人ばかりが集まるような国際的な音楽祭でした。

「調子が悪くなったらさっさと楽器やめますから」と色んな人に話していたのに、いざとなったらそんな勇気もありませんでした。
ただただこの現実が本当に「ヤバい」と思い、藁をも掴む思いで以前お会いしたことのあったホルン奏者、
当時アレクサンダー教師になりたてだったバジル•クリッツァーさんの“あがり性克服講座”に行きました。

私はあがり性ではありませんが、
この時の私は素直にレッスンのお願いをすることができず、
何か偶然を装うことを考えていました。
会ったことあるかもしれないけど、ほとんど知らないやつのレッスンなんて引き受けてもらえないと思っていたんです。
もちろん全くそんなことはなく、
講座後、バジルさんに個人レッスンをしてほしいと頼むと快く引き受けてくれました。
あ、あがり症講座はめちゃくちゃよかったです。今でも自分のレッスンに生かせています。

後日、目黒のbodychanceスタジオでレッスンを受けました。
すると、レッスン開始数分で、私の演奏が劇的に変わりました。

“調子を崩す前のように吹ける”、
というより、
“今までにないくらい吹きやすい吹奏感”
で、新しい自分に出会ったような感覚でした。

これはなんだろう。
何が私の中で起こってるの?知りたい!
もし私がこれを教えられるようになったら、救われる人が何人もいるはず!
吹けるようになるよって伝えたい!

人間の無限の可能性に気がついた私は、
絶対に教師になりたい!
と思い、ここから私の探究が始まりました。

コンサートではなんとか無事に吹ききり、拍手でたたせてもらって
「この感じたまらない。このために吹いているのだ」と思いました。
この拍手を貰って嬉しいのはそれだけ頑張ってきたからだということも理解できました。

探究していくなかで、私の考えが甘いという事が良くわかりました。
私は真剣にホルンと向き合っていませんでした。
他人に頼られることで人生が上手くいっている、という幻想に浸っていたことに気が付きました。

私は、しばらく楽器に触れるのをやめました。
そもそも仕事の為だけにやっていた「音を出す」という作業は音楽ではないことに気がつきました。
これでお金をもらっていたなんて本当に恥ずかしい。

bodychanceの教師養成コースに入ってから3ヶ月ほどで妊娠し、
それまで悩みだった原因不明の体調不良や躁鬱や不眠がなくなりました。

妊娠期間はつわりにどっぷり浸りながら、大きくなるお腹と楽器とのバランス、出産時の陣痛と呼吸の関係と分娩台に上がってからのいきみ方、出産直後のガクガクの身体との付き合い方、授乳や抱っこなど赤ちゃんとの付き合い方、いつから楽器を吹き始めて仕事に復帰できるのか、等々とにかく目まぐるしく状況が変わる中で自分の身体を使いながらの実験の連続でした。

それから、3年ほど吹きたいと思わなかった楽器を手に取り、好きな曲を吹き始めました。
すると不思議なことに以前より音が出るし、やりたい音楽が吹けるのです。
3年間ほぼ吹いていなかったのにも関わらず、です。

再び、これはなんだろう、と思い、
もっとホルンについて勉強をしたいと思いました。
アレクサンダーテクニークの使い方を知っているけど、
それだけでは自分の目指している音楽は出来ないと心底痛感しました。

自分の為に吹きたい満足したい、
という思いと、
自分を表現し、誰かとこの気持ちを共有したい、聴いてもらいたい、と思い、
ホルンもこっそり練習しながら探求しています。

今思えば、教えることに明け暮れていた数年間は私にとってとても貴重な期間でした。
「先生」と呼ばれる事に傲り高ぶり、偉そうに教えていた事を深く反省しました。

そして、当時やりたいことが別にあっただけで、
実は、教えてる時間は私にとってワクワクする時間で、
教えることが人より少し得意なこと事にも気がつきました。

当時、レッスンプロにだけは絶対にならない、とおおっぴらに言っていた私を殴りたい!
めっちゃなっとるやん!!!笑
片手間に教えとるレベルじゃないやん。教えるプロやん!

本当に当時から私を知ってる方々には頭が上がりません…
そう、人生何が起こるかわかりません!

アレクサンダーテクニークに出会って9年目。
二人の子を育てながら、わたわたと過ごしてきましたが、
ようやく動ける目処が立ってきました。

アレクサンダーテクニークでやりたいことは、

定期的なグループレッスン
個人レッスンとオンラインレッスン
キッズからシニアまで、アニマル進化体操動画配信&リアルレッスン
なんでもQ&A講座
演奏家集中プログラム

私の持てる能力を最大限活かして、演奏家のサポートがしたい。
世の中に素晴らしい音楽があふれることを夢見ています。

日常に音楽があるって平和の象徴だと思うんです。
生きるか死ぬかって時は、音楽どころじゃない。
まず一番初めに切られるのが芸術関係です。

でもね、震災やコロナではっきりしましたよね。
心が病んで自殺する人の多いこと、本当に。
現代人は芸術文化を切っては生きていけないんです。
エンターテイメントは衣食住と並んでめっちゃ大切なものなんです。

体と心で人間を作っています。
心を軽くみていませんか。

音楽がある、ということは、平和であるということです。
そして、みんながやりたいことができれば、争うことがなくなると思うんです。
アレクサンダーテクニークは、やりたいことがよりやりやすくできるようになるワークです。
アレクサンダーテクニークと音楽が世界を救うと思うんです。
私の夢は世界平和です。


私のレッスンは、先生生徒関係無く探究し合い学び合う場所であり、新しい可能性を見届ける現場でありたいと思います。
私にとってのレッスンとは先生が生徒に一方的に教える、ではなく、コミュニケーションと考えます
。大人のレッスンだからこそ、今まで培ってきた人生を最大限に活かすお手伝いをしたいと思います。

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